
仕事で区役所へ行ったついでに、せたがや百景の一つ、上馬のさぎ草ゆかりの常磐塚に行こうと思い、地図の印の部分を探しましたが、それらしい塚がなかなか見つかりません。

地図に付けられた印の場所は、確かに上馬のときわ公園の辺りなのですが、公園の中には遊具と樹木があるだけで、塚の様なものはありません。
諦めて世田谷通りに出ようとした時

見付けました

確かに常磐塚と刻まれています
小さな家が一軒建てられる程の、思いもしない小さな土地に、常磐塚は確かに在りましたが、百景と言う程の景色ではないと思うのは僕だけでしょうか?




せたがや百景ではさぎ草ゆらいの常盤塚とありますが、何故かさぎ草についての言及がありません。
せたがや百景の冊子によると、「世田谷城主吉良頼康の側室常盤の悲しい物語にまつわる塚が、上馬のまちの家と家との間にひっそりとある。常磐の放った白鷺があわれ頼康の鷹狩の手にかかり、その骸を葬った地には一面のさぎ草が咲いたという。現代のまちなかに伝説を蘇らせる一隅の小風景だ。」とあります。
小さな塚にも、悲しい物語や伝説があるものなんですね。
所在地/世田谷区上馬5-30-18の隣り

地図に付けられた印の場所は、確かに上馬のときわ公園の辺りなのですが、公園の中には遊具と樹木があるだけで、塚の様なものはありません。
諦めて世田谷通りに出ようとした時

見付けました

確かに常磐塚と刻まれています
小さな家が一軒建てられる程の、思いもしない小さな土地に、常磐塚は確かに在りましたが、百景と言う程の景色ではないと思うのは僕だけでしょうか?




せたがや百景ではさぎ草ゆらいの常盤塚とありますが、何故かさぎ草についての言及がありません。
せたがや百景の冊子によると、「世田谷城主吉良頼康の側室常盤の悲しい物語にまつわる塚が、上馬のまちの家と家との間にひっそりとある。常磐の放った白鷺があわれ頼康の鷹狩の手にかかり、その骸を葬った地には一面のさぎ草が咲いたという。現代のまちなかに伝説を蘇らせる一隅の小風景だ。」とあります。
小さな塚にも、悲しい物語や伝説があるものなんですね。
所在地/世田谷区上馬5-30-18の隣り


